anzuのブログ

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女体神社・中山神社・大宮氷川神社レイラインを辿るパート1

埼玉には氷川神社や出雲系の大社造りの神社がとても多い事に気付く
その理由を探るには女体、中山、氷川神社の3つの三社詣でをしない事には始まらないと以前から
思っていましたが、今回レイラインを辿ってまいりました
 
まずは氷川女体神社から
東浦和の駅を降りて歩いて30分ぐらいです。女体神社に行く道に早速、氷川神社発見
 
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大間木氷川神社です。本殿はやっぱり大社造りですね
大宮氷川神社の造替に辺り、旧本殿を買い受けて建立したそうです。
ずばり、この本殿は大宮氷川神社だった訳ですね~御祭神は素戔鳴尊スサノオノミコト)です
 
さぁ、思いがけない神社との出会いに嬉しくなりつつ女体神社を目指します
 
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今ではすっかり沼地では無くなってますが、以前は沼地だったのでしょう。
女体神社があり、真ん中に中山神社、そして大宮氷川神社が等間隔で一直線上に鎮座していて
女体神社から大宮氷川神社まで広大な見沼が広がっており、この3社揃って武蔵一の宮と言う説もあるようです
 
夏至の時期に太陽が氷川神社方向に沈み冬至の時期は女体神社から太陽が昇るそうです
これも稲作で重要な暦を知る為に配置されたとか…
そうだとすると3社全てを合わせて武蔵一の宮って説、かなり当たってるような気もします
 
この辺りの見沼一帯が出雲系の人達の神域だったのでしょう…
この神域は9万坪あったと言われているそう大変な勢力であった事が伺えます
 
江戸時代に入り、徳川幕府が入り込んでからは沼地の干拓が進み、段々と神域の雰囲気も
変わってきたのでしょうか…
 
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高間ヶ原橋を発見このような名前が残っている所を見ると、やはり神域だったんでしょうね~
土地の持つ記憶ですね
 
そんなロマンチックな想像にふけりながら女体神社到着です
 
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参道になっている女体橋を渡りますこの赤い橋、大宮氷川神社にも雰囲気似てますよね
 
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この辺り一帯は沼地だったので神社も高台にあります
 
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遥か遠く昔の出雲族の方達を思いながら参拝
 
大宮の氷川神社を「男体社」とし、スサノオノミコトを御祭神とし、この女体神社はスサノオの奥様
奇稲田姫命クシナダヒメノミコト)を御祭神として「女体社」としているそうです
 
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そして本殿は出雲系の大社造りです
 
そしてお守り
 
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女性の神様らしく、とってもプリティーなお守り
 
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氷川女体神社
御祭神:奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)
     他に大己貴命(おおなむちのみこと)三穂津姫命(みほつひめのみこと)
 
ミホツヒメノミコトは島根にある美保神社の御祭神でオオクニヌシノミコトの后神だそうです 
やっぱり出雲系の神様達ですね
 
この辺りの見沼には龍神が住んでいると言われ、龍神を鎮める為に磐船祭という行事をしていたとの事
今でも「磐船祭祭祀遺跡」が残っていました
 
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享年12年、沼が井沢弥惣兵衛によって干拓されてからは磐船祭が行えなくなったそうです。
龍神伝説の一つに、沼が干拓されてしまうと龍神が住めなくなってしまうので龍神が女性に
姿を変え、井沢弥惣兵衛にお願いをしに行ったまた、怒って嵐を起こしたりしたが
結局、干拓されてしまった龍神は天に昇り、印旛沼に引越しをしたとの事です…
 
元々、見沼で行われていたのは御船祭で、干拓後に祭りが出来なくなり見沼の一部であった場所に
池の中に丸い島を築き祭祀場を設け、そこで御船祭の変わりとなる磐船祭を行ったそうです
 
磐船祭も明治初年には行われなくなったそうです…
今現在残るのは遺跡のみです…。
 
パート2に続きます…