anzuのブログ

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金峯山寺(きんぷせんじ)・吉水神社 (奈良県)

金峯山寺(きんぷせんじ)
 
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御本尊:金剛蔵王大権現
 
大和の国、吉野山から大峯山山ヶ岳にかけての一帯は金峯山と称し、古代より世に広く知られた
聖域だったとの事です山岳信仰のある修験道のようです
 
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蔵王堂です。国宝でありますも立派ですね~
 
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奥に見える三重の塔は南朝妙法殿です
足利幕府と北朝に対抗する南朝方の拠点として後醍醐天皇の御座所となっていたそうです
吉野は後醍醐天皇一色です
 
 
 
吉水神社
 
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御祭神:後醍醐天皇
 
この神社も後醍醐天皇でございます
これだけ後醍醐絡みできたんだから吉野神宮も行っとくべきだったな~と後悔してます
 
お守りのデザインが素敵だったので3体も買っちゃいました~
 
最初の写真の静御前お守りは、源義経は兄頼朝の追手を逃れて静御前、弁慶などと共に
吉野に潜入して吉水神社にしばらく亡命されてたとの事です
ただ、それも束の間、悄然として吉野落をされて奥州へ落延びたとの事です。
 
吉野とは亡命者を受け入れる場所だったんでしょうか…
 
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後醍醐天皇の霊が成仏してますように…
 
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絵だけ撮って部屋の雰囲気を撮るのを忘れてしまいました
 
この玉座の下に流れ続ける瀬古川のせせらぎを聞かれて歌われたものです
「花にねて よしや吉野の吉水の 枕の下に石走る音」
 
後醍醐天皇は52歳で崩御されたとの事です。本居宣長などが天皇の在りし日の姿を思い浮かべて
吉水院で声を上げて長い間、涙を流したと伝えられているそうです
 
知れば知るほど、後醍醐天皇の一生は波乱に満ちていて切ないな~
 
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こちらに後醍醐天皇の行宮があったそうです
 
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北闕門(ほくけつもん)です
 
後醍醐天皇南朝の皇居をかりそめの行殿とされ
 
「露の身を、草の枕に置きながら 風にもよもと頼むはかなさ」
 
いつの日か京都に凱旋できる時を待たれていたが夢半ばにして南朝の皇居で崩御された。
「玉骨はたとえ南山(吉野山)の苔に埋むるとも魂は常に北闕(京都)の天を望まんと思う」
と、悲痛なお言葉を残されたそうです
崩御後、後醍醐天皇の忠臣達がこの場所で号泣したとの事です
 
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そして、この門の前になぜかセーマンドーマンの印が
急にセーマンドーマンが出てきて、吉水神社と陰陽道の繋がりが調べてもいまいちよく分かりませんでした
 
でも、この時代は安倍清明のような占い師のような存在が後醍醐天皇の回りにも
いたのかもしれませんね…
この門の前で九字を切るといいそうです
 
後醍醐天皇、もうちょっと勉強しなきゃ…