anzuのブログ

\(^▽^)/

死刑制度について


今回はちょっと重たい話題となります( ̄人 ̄)


先日、オウムの麻原含め7人が死刑執行された。
1日で7名。異例の数だ。
そんな中、テレビでは7名の顔写真の載ったボードを使い
死刑執行されると「執行」のシールが次々と張り出された。

なんとも生々しい公開処刑だった。

私は決して死刑廃止論者ではない。
凶悪な犯罪が起これば「こんな奴は死刑だな!」って
軽々しく言ってた。

けど、今回の1日に7人法の下死刑執行される現実を目の当たりにして
色々と考えてしまった。

オウム真理教を肯定するつもりは一切無いけれど
オウムに対する見方が少し変わったのは森達也さんのオウム信者
日常を撮ったドキュメンタリー映画「A」「A2」を観てからだ。
もう20年前の映画です。
それと、村上春樹さんの「アンダーグラウンド」もオウムの信者と
被害者にインタビューをしたものが本になってます。

森達也さんの映画も、村上春樹さんの書いた本でも
中に出てくる信者の人達はまぁ、純朴で素直で、とても
凶悪犯罪をおこしたオウム真理教に属している事が不思議で
ならないくらいだった。この映画も本も麻原が逮捕されてからの
物なので凶悪犯罪が計画されていた事すら知らなかった信者ばかり。
きっと犯罪に携わった信者も同じような純朴な青年だったのだろう。
映画と本は日本中皆が見るべきものだと思うし
なぜ知的な純朴な人達が麻原に惹かれていったのか・・・
解明できないけどホント考えさせられます。
オウム無くせー!殺せー!と言う前に
ぜひ多くのひとに見てもらいたいです。
今後、こういった団体を世に出さないためにも一般の私達も
考えなくてはならない事なのだと感じます。

で、死刑制度に話しに戻りますが
地下鉄サリン事件で駅員だった夫を亡くした高橋シズヱさんが
発していた言葉がとても印象に残っています。それは
「麻原や他信者が死刑執行されても自分自身の気持ちは
死刑になる前とされた後では何も変わっていない」と。
一つの区切りにはなるのだろうけど
犯人が死刑になったからと言って被害者は戻っては来ないのだよね。
その言葉を高橋シズヱさんから聞いた時に
あぁ、そうなのか。じゃぁ死刑って何なんだろか・・・
って考えてしまいました。

松本サリン事件で犯人扱いされた河野さんは
拘置所で4人の死刑囚と面会したそうで
「いずれも更生の余地がない人とは思えず好青年と言う印象。
拘置所にずっと置かれている方が辛くて、死刑執行で
『自由になれた』と思う人もいるのではないか」
と言っている。

自分の息子がオウム真理教に入信し脱会させようと行ったら
VXガスをかけられ半身不随となってしまった永岡さんは
「死刑囚の何人かと定期的に面会して話をし分かったのは
オウムに妄信して犯罪までおかしてしまったとは言え
1人1人は誠実な青年ばかりで、どうしてこういった犯罪を
おかしてしまったのか、死刑にする前にもっと
より深く真相解明してほしかった」と。
自ら被害を被った方ですらこの様に述べていた。

死刑制度について考える時にやっぱり自分に置き換えてしまうと
身内が残忍な犯罪で殺されたら!意味も無く通り魔に殺されたら!
そんな状況になった時に犯人に対して復讐したいって気持ちに
なるだろう。自分では殺せないから法の下で犯人を死刑に
してもらうしかないし、それが最大限自分の気持ちがおさまる
事だと思ってた。だからこそ死刑反対とは言えなかったんだけど
今回の高橋シズヱさんの言葉を聞いた時に
「死刑になったからと言って自分自身の気持ちはまったく変わらない。」
死刑とは・・・って
考えてしまったね。かと言って、死刑にならずに刑務所で
のうのうと3食食べてるのかと思うとそれはそれで腹立つしね。



最近は死にたいからと言う理由で犯罪をわざと起こす人もいる。
池田小学校で無差別に子供を殺した宅間守
先日の東海道新幹線で3人もの死傷者を出した小島一郎。
自暴自棄になって死にたいからって理由で無差別に犯罪をおこす。
これも死刑制度が無ければどうだったろうか?って
考えてしまう。勝手に一人で死んでたんじゃないかって。
一生刑務所で暮らさなくてはならないって思ったら
同じ犯行に及んだだろうか?
死刑になるのはこういった犯行ばかりでは無いけれど。

そんな事を思ったら死刑の在り方について
諸外国の死刑制度も含めて考えてしまうね。

自分がもし・・・って思うと答えを出すのは難しいけれど。