anzuのブログ

\(^▽^)/

永井荷風先生のお墓参り

池袋で用事を済ませ、ふと・・・
 
「そうだ!荷風先生のお墓に行こう!」
 
と、急に思いたち池袋から歩いて直ぐの雑司が谷霊園に行ってまいりました
 
私が以前、荷風の墓を訪れたのは14年前・・・
 
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平成11年、江戸東京博物館に「永井荷風と東京展」を見に行った後でした
今、このチラシで確認したんだけど14年も経ってた事にビックリ!(笑)
 
反骨精神を貫き、一生独身の人嫌い、女好き(笑)
これだけ言うとロクデナシのようですが(^▽^;)
未読の方はぜひぜひ荷風先生の本、お勧めします
きっとカッコ良さが分かると思います
自由奔放な生き方は男性の方がリスペクトする人が多いかな
 
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遊女に囲まれて嬉しそうな荷風先生
 
この写真見ると、ただのエロ爺でしかないけど(笑)
荷風先生は遊女の哀しみに想いを馳せ、深い愛情で慈しんだ方だと思います
 
その一つとして荒川区浄閑寺というお寺があります
別名「遊女の投げ込み寺」とも言われています・・・
 
このお寺は、遊郭に身売りされ身元も分からず命を落とした若い子達
震災や空襲で亡くなった遊女達
 
浄閑寺の供養塔の台座には
「生まれては苦界、死しては浄閑寺
と、刻まれています
だいぶ前に、このお寺も行きましたが胸が痛みましたね・・・
 
そんな哀しみの遊女を愛してやまなかった荷風先生は
浄閑寺を何度も訪れたとの事です。お寺には荷風の碑文も刻まれています。
 
そして14年振りのお墓参りです
 
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思いつきで来たもんだから、お花持ってくるの忘れた~と思いましたが
さすが荷風先生のお墓どなたかがすでに献花されてました
 
断腸亭日乗」の大正7年(1918年)1月2日、荷風40歳の時の日記には
「午に至って空晴る。蝋梅(ロウバイ)の花を裁り
雑司が谷に往き、先考の墓前の供ふ」
との記述があります
 
荷風の墓には今でもロウバイの樹があるんです
 
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14年前に見た時は樹がもっと小さくて花も咲いてました
 
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因みにこちらロウバイの花です
(この写真は私が近所で撮ったものです)
今ぐらいの時期から咲き始め、鎌倉辺りにはロウバイの樹が
凄く多く海の近い温暖な気候のせいか
初詣の今の時期でも満開のロウバイを楽しめます
(以前、鎌倉へは毎年、初詣に行ってたもんで・・・
 
荷風先生のロウバイの樹は今年はつぼみも付けてませんでしたが
樹が明らかに大きくなってたので生きてる証しですね
 
荷風先生の植えたロウバイが目の前にーーーー
って、凄く感動したのですが、新たに断腸亭日乗を再度、確認したら
植えられたのは大正7年との事。今から90年以上前か・・・
本当に当時植えたロウバイなのだろうか・・・
 
もしかしたら荷風先生の想いを継いで
誰かがロウバイを植えたって事かもしれませんね
こんな感動的な出会いが出来るのも意思を継ぐ荷風ファンが
たくさん居るって事なのかな
でも、荷風先生本人が植えたロウバイだと今でも信じてやまない一人です
 
 
 
 
 
 
久々に雑司が谷まで来たんだからと他の方のお墓参りも致しました
池袋から直ぐなんだけど、なかなか来ないのよね(;´▽`A``
 
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伊香保温泉を筆頭に温泉街に行くと夢二ゆかりのある温泉場が多いね
この方も女性好きってイメージですね
イメージじゃなくてホントか(笑)
 
 
 
 
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以前、出雲大社に行った時に松江にも立ち寄ったのですが
八雲が毎日のように散歩したと言う城山(ジョウザン)稲荷神社に
参拝しました八雲が散歩してた場所か~と感慨深い気持ちになりました
 
八雲の書いた怪談、幽霊話は凄く面白いですね
 
 
 
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三部作「三四郎」を読んだ時は舞台となった東大の中にある
三四郎池に行き、子との恋慕に思い巡らせたりしました
 
ワタクシ、感化されやすい年頃だったもんで
20代の頃は東大の赤門をくぐって、よくプラプラしてましたね~(笑)
勉強で入れる力は100%無しですが・・・(;´▽`A``
 
あ、でも漱石の小説、全部は読んで無いけど好きなのは「こころ」かな・・・
 
 
雑司が谷霊園には他にも
泉鏡花、ジョン万次郎、東條英機などなど数々の著名人が眠っています
 
次回は久々に谷中墓地に行ってこようかな・・・